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横浜舌癒着症ママの会初代代表の
小野 雅子さん(ニックネーム)より




私が横浜舌癒着症ママの会を立ち上げたのは、我が子の育児がきっかけでした。

 

生まれたばかりの我が子は、とにかく元気な子でした。周りの子よりも成長が少し早く、動きも活発でした。4,5ヶ月頃から出始めた赤い痒みのあるブツブツだけが悩みの種で、小児科へは定期的に通っていました。「ここの先生に任せておけば安心だろう」と信頼しきっていました。しかし、我が子の痒みは良くなるどころかどんどん悪くなり、先生に「アトピーですか?」と尋ねても「この症状の出方は違うでしょう。」と言うばかりで詳しい血液検査を求めてもしてくれませんでした。苦しんでいる我が子を見ながらも「お医者さんが『アトピーではないと思う。』と言っているのだから」と、そのままにしていました。

 

ようやく「何とかしなければ」と動き出したのは、痒みが全体に広がり、顔の赤みが消えなくなり、7ヶ月児検診の時に診断して頂いた先生に「この子アトピーでしょう。きちんと検査をした方がいいですよ。」と言われてからでした。「アトピー」と医師の口からはっきり聞いた時には母親としてのショックと、かかりつけの先生に対する不信感の気持ちでいっぱいでした。私はそれからようやく「アトピー」についての勉強を始めました。私は初めてアトピーという病気と向き合ったのです。誰かに頼るのではなく、初めてきちんと我が子と向き合いました。医師に任せきりにするのではなく、まずは自分自身がしっかりと病気のことを勉強し、そして自分の考えにあった医師を探し治療していくことが大切なのだと言うことにやっと気付くことができたのです。

 

アトピーも少しずつ落ち着き始めた頃、偶然に舌癒着症の事について話を聞きました。息子は1歳4ヶ月頃から夜泣きが酷くなり、寝付きも悪く、起きていても機嫌が悪く、だんだんと手がつけられなくなってきました。気に入らない事があると所かまわず寝転がって反り返り、泣き叫び何をしても治まらなくなりました。旅行は勿論のこと買い物にすら行けなくなってしまい、気がつくと私自身がイライラして情緒不安定になっていました。我が子を可愛いと思える時間が日に日に少なくなり、あんなに楽しみにしていた自分の子供に愛情をもてなくなってしまった事に対して、自分自身を責めました。そして泣きながら向井診療所を訪ねました。

 

術後、日を増すごとに変化は表われ始めました。何よりも私自身が日を増すごとにどんどんと我が子を愛することが出来てきました。そして私達家族は救われたのです。

 

舌癒着症の手術を受けるかどうかは、どの親でも大変に悩むことでしょう。最終的に判断をするのは親なのです。親自身も舌癒着症についてしっかりと勉強をすることが大切です。そして自分の責任において判断をするべきです。しかし大きな問題は、そこに舌癒着症の正しい情報があるかどうかということです。正しい情報がなければしっかりとした判断は出来ません。医師会が反対をしているから、患者である私達へ情報が伝わる前に削除されてしまうのは非常に良くないことだと思います。その段階で既に親の選択肢には入ってこないのですから・・・。

 

私に出来ることは、悩み苦しんだ、ある親子が向井先生の手術によって救われたという事実を1人でも多くの方に知ってもらうことでした。決して手術を勧める為のものではありません。お子さんのことで悩み、苦しんでいるお父さん、お母さんが「舌癒着症」にたどり着く事が出来るために、正しい情報を得る事が出来るために、私はこの会を立ち上げました。


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